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      続・集団と個人
      ひきつづき、このテーマにこだわってみます。なぜなら、知的に障がいのある人たちは総じて、とても個人的なワールドで生きていて、集団の中になかなかとけこめないからです。そういう人たちなのに、その多くが、集団生活の場以外に生活拠点が無いという、不可思議な現実に、ずーっと首をひねっているのです。
       サルサガムテープを始めた頃おどろいたのは、メンバーがことごとく、指示待ち人間だったことです。(断っておきますが、これは障がいと無関係)こうしなさい、ああしなさい、と指示を出さないと行動しない。好き勝手にやりたいようにジャンジャンやろうよ、ロックンロールに規制なんかひとつもないんだからガンガンやれよ! と言ってもぽかんとしている。仕方がないので、自由の手本として、私がみんなのまん中で、太鼓たたいてシャウトして踊りまくったのです。そのときの姿は、施設内でいちばん問題行動を起こしている人だったかもしれません。そうしているうちに、だんだんみんなも、あぁここではなんでもOKなんだと気づいたみたいで、それぞれがそれぞれのやり方でリズムを叩きはじめたのです。そうなったら、もともとは超がつく個性的な人たちですから、ユニークな行動をガンガン見せてくれました。つまり、押さえていたのです。集団生活の中で。
       それがわかったときは、とても悲しかった。
       それで自由にやったら集団は収拾がつかなくなったかというと、そうではなく、集団の中での個人の立ち位置が分かったとたんに、みんな自立していったのです。ツアー移動中のPAやSAでどなり声など上げなくても、決められた時間には、みんな車にもどってきます。
       やはり優先されるべきは、個的意識の確立であり、つぎに集団の規律なり論理が関係性のルールとして芽生えていくのではないでしょうか。会社にしても学校にしてもスポーツにしても、個人的意識の高い人たちの集まりは、集団としてもパワーがあります。
       集団維持だけのために抹殺を余儀なくされる個的なことって、ほんとうにあるのでしょう?
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