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      集団と個人
       入所施設を訪れるたびに、くりかえし考えさせられるのは、集団生活における個人的事情ということです。
       たとえば食事時間。これは朝・昼・夜と時間が規則正しく決まっています。それは集団生活を維持する上では当然ことです。そうしないと厨房は一日中、食事を作りつづけなければなりません。材料費・人件費などたくさんのお金が必要となります。生活のリズムも乱れてしまいます。Aさんが六時半に、Bさんが九時半に朝食をとっていたら、AさんとBさんの担当職員は翻弄され疲れ果ててしまいます。集団生活の中ては、そういうことは、実際には不可能だということは、分かります。
       しかしながら(ここからが本題)、知的に障がいがあろうがなかろうが、そして病院の入院患者でもない、成人した大人が日常生活をおくる場において、三食のメシの時間が毎日きっちり決められているのは、やはりフツーの暮らしではありません。一般社会では、かなり几帳面な人でも、いつもより遅く夕食を食べるときがあります。みんながしていることです。
       それが集団生活になると、出来なくなるのです。
       それは仕方がないことなのかもしれません。
       ただここで強く主張したいのは、集団生活を規則正しく維持することが集団生活の最大の目的ではないということです。この一点を勘違いしている施設がたくさんあります。利用者ひとりひとりのニーズにこたえていたら、集団生活は破綻してしまうと、ゆるぎない確信をもって語る人の日常生活は、集団ではなく、個人なのです。休みの日には遅い朝食をゆっくりとったりしているのです。
       365日ずーっと集団で生活している日常に、どれほどのストレスがあるのか、そうした経験がない私には分かりません。おそらく施設で働く人たちも、実際にはわからないでしょう。
       だからこそ、出来る限りの、個人的事情が受け入れられる環境が必要なのです。
       なぜなら、個人的事情を冷静かつ理論的にアピールすることが苦手だから、知的障がい者と呼ばれている人たちの、そこは、ほかに行き場のない、暮らしの場なのですから。
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